旧日立航空機立川工場変電所
都立東大和南公園(東京都東大和市桜ヶ丘)にあります、航空機のエンジンを生産する軍需工場へ送電する変電施設として1938年(昭和13年)に東京瓦斯電気工業株式会社変電所として作られました。
翌年には日立製作所と合併、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所に改称しました。戦局の激化に伴い1945年(昭和20年)2月17日、4月19日の戦闘機、更には、4月24日にB-29の大編隊による空襲により被災しました。隣接する工場は大破しましたが、変電所は、倒壊することなく、戦後は、東京瓦斯電気工業を合併した富士自動車(後の小松ゼノア)立川工場の変電所として南壁面に機銃掃射を受けたクレ−ター状の弾痕を残しつつ1993年(平成5年)まで変電所として使用されました。
その後、東京都の公園整備により都に移管され、現在は市の戦災建造物として文化財に指定され、東大和市が保存・管理を行っています。
変電所の重要性
この戦災変電所は、全国の戦争建造物の中でも特筆すべきものです。
1、軍需工場の重要施設として建設
された昭和 13年当時の建物で
あること
2、被弾の跡が、そのまま修理され
ず残っていること
3、建物内部にある変電設備も当時
の 設備があ り、被弾の痕跡を
残していること
何故、変電所が残ったのか?
多くの戦争遺跡が姿を消してきた中で、今のような形で残され保存されたのは奇跡といえます。
それは、私達の先輩である多くの市民の先見性とそれを残そうとした活動のおかげです。
東大和市では、1988年から当会の前身である「東大和市の戦災建造物の保存を求める市民の会」を中心とした多くの市民のよる保存活動が展開されていました。その努力が実り1995年10月1日に変電所は、東大和市指定文化財になりました。
この変電所の価値は、今後とも重要性を増していくと考えています。私達の会は、先輩の市民の活動を誇りとし、この建物が永遠に保存され、且つ平和事業に市が今後益々活用させるよう願います。
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日立航空機株式会社立川工場の当時の拡張計画図
1945年(昭和20年)2月17日工場への空襲
(米軍の航空写真から)
被弾の壁面のままの現在の変電所
変電所2階
被弾跡のある13年建設時のままの明電舎製変圧器
2001年に取り壊された給水塔
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